こじんてきしゅかん

育児、教育、ゲームなど日々を雑多に、へー、ふーん、くすっ、とするようなブログを目指しています。

不適切言動は世の常か?配慮の中で正解と本心と真実は無意味だ

 

 

先生の発言に至る前後は不明ですが

特別支援学級であるが故にニュースになったのかもしれません。

 

 

news.livedoor.com

 

 

 

昔の小学校、

先生たちの言葉は絶対です。

 

授業中に冗談を言って和ませたかと思えば

うるさいから廊下で立っていろと言われる児童。

 

授業のオンオフの切り替えというより

先生の喜怒哀楽に左右されていた気がします。

 

とは言え、

学校・クラスでの決まりもありましたし

謎ルールもありました。

 

子どもながらに怖い先生の対応と

優しい先生の対応は違いましたし

同じように遊ぶ相手の対応も違う。

 

それは先生も同じこと。

 

一律の対応を(そこまで)願っていない

子ども(保護者)もいたと思います。

 

 

 

何か問題があれば学級会と呼ばれる会議で

ひとつの題材を議論していました。

 

誰かがうるさい

誰かが廊下を走っていた

誰かがいじめていた

誰かが寄り道をしていた

 

他愛のないことだった思いますが

 

クラス40人 vs 1人

 

決められたことを厳守させるよう促す。

先生などの注意などもあり

翌日には普通に接していました。

 

学級会の時間は毎週あります。

 

同じような人が同じようなことを

毎週同じように話し合われる。

 

理解しようがしてなかろうが

結論も同じように終わる学級会。

 

普通級・特別支援級もない時代のクラス。

 

配慮も何もあるわけでなく

ただ晒されたくないからと

怯えていたのかもしれません。

 

 

低レベルといえどいじめの温床

 

先生自体が加担していたのか

見せしめだったのか

改善したかったのかは分かりません。

 

 

 

 

そして現在。

子どもたちの小学校に限ってかもしれませんが

先生たちは虫の息のように思います。

 

 

普通学級と呼ばれるクラスに

うるさい児童がいれば注意しますが

舌戦で説き伏せるしかありません。

 

配慮を持った分かりやすい言葉で

 

授業が進まなくても

隣の席の子の筆箱を取ったとしても

説き伏せなければなりません。

 

どうして筆箱を取ったのか理由を聞く

 

筆箱を取られた側はその結果を待ってから

先生から話を聞きますがそれだけです。

 

理由などどうでもよく

再犯はもちろんのこと

席替えを含め児童・両親に言い聞かせてもらい

必要であるならば(破損・紛失などの)補償の話もしたい。

 

被害を受けた側の要求が強いと思いますが

それも先生が説き伏せるか受け流すか

相手を持って配慮の仕方を決めなければなりません。

 

 

暴力なども同じことです。

 

警察に言えば

教育委員会に言えば

 

SNSで炎上させれば

 

もちろん効果はあるでしょうが

学校で起こることは

学校が関与しないといっているようなもの。

 

四六時中誰もが晒される危機に怯える。

 

のであれば、

関わらないほうが良い。

 

見て見ぬふりをしておけば

対応が間違ったとしていても責められるリスクは少ない。

 

 

 

今回のニュース、

先生の(とりあえずの)正解は我慢するべきでした。

自身の精神状態などは分かりません。

死なばもろともの考えだったのか

我慢据えかねてだったのかは不明です。

 

 

逆に、

特別支援学級の児童は騒がしいもの

配慮を持つようにほかの児童に求めていればー

 

 

 

とある児童が発言できなくて

授業や班での決め事が進みませんでした。

一度や二度ではなくずっとです。

ただ、

「はい」か「いいえ」

を言えばいいだけ。

簡単だと思っているのでしょう。

 

こんなこともできない(分からない)とは

 

 

何気ないことでも

話せない子にしてみれば

問い詰められると同じ事。

先生(学校)は怖いを認識するでしょう。

 

 

もっと配慮して!

 

・・・

 

 

どちらにせよクラスで周知を行われると

晒されることは間違いありません。

 

 

騒がしいだけなら良いが暴力が振るわれたー

 

 

先生・校長と個別に対応し

それでも改善が見られなければ。

 

 

まぁ、

うちの子に被害が無かったから

先生だけ罰しておけばいいんじゃない。

 

 

 

行われたことに対して

クラスの周知があったにせよ

対応は個別にしているので

知らぬ存ぜぬの変な空気が漂う中、

それでもひっそり授業をする先生。

 

 

誰かが疑問に思っていても先生の固定概念が一般論。

 

 

誰かが我慢すれば

自分が我慢すれば

先生が言うから仕方ない

あの子だから仕方ない

 

 

一律に求める配慮。

現場で四苦八苦する先生。

 

 

前例ができることは良い面もありますが

その消化の仕方もやはり先生次第。

 

 

 

特別支援学級とか普通学級の児童でなく

先生だからこそ問題になってるのは当然です。

 

 

しかし、

特別支援学級(相当)の児童が

普通学級(相当)の児童に暴力をふるった場合はどうでしょう?

 

もしもニュースになれば、

 

子どものすること

子ども同士だから

そういうことになるでしょうか?

 

 

 

今の教育現場は昔と違いますし

体験したこと、求めることも

それぞれが違いますが配慮は一律です。

 

 

逆上がりができる子

もう少しで逆上がりができ「そう」な子

逆上がりができそうにない子

逆上がりができない子

鉄棒を握れない子

 

 

グループを分けて教えたほうが良いと誰もが思います。

 

 

しかし、

それは自己判断(過大評価)により

先生の評価(グループ分け)は違うかもしれません。

 

 

先生だから悪い

児童だから良い

 

大人だから悪い

子どもだから良い 

 

 

ではなく、

配慮を持った善悪(と呼ばれる)

の事柄に対して更なる教育の向上が

求められるのではないかと思いますが、

ここ10年くらい小学校の教育現場で

変わったことは見られず実感していることも感じられません。

 

 

誰も言ってないから(してないから)

と先生が言い(しているから)

先生が言うから(しているから)

子どもが言う(する)

 

 

言えない(できない)なら我慢しろ

 

 

そういった構図を残したまま

新しいことを始めたところで

対応できないことが増えるだけの教育も結局は先生次第。

 

我慢している先生も多いのでしょうが、

だからこそ何もしてくれない先生もいます。

 

 

全てがニュースになれば

教育現場は変わるのか

崩壊するのか

 

子どもたちの小学校と重ね考えるのは同じことなのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

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