こじんてきしゅかん

育児、教育、ゲームなど日々を雑多に、へー、ふーん、くすっ、とするようなブログを目指しています。

鬼滅の刃の主題歌「紅蓮華」は鬼たちへのレクイエムだ。

 

 

鬼滅の刃の主題歌「紅蓮華」を考察してみたい。

今更の完全な自己満足。

重なった表現もあるが見逃してほしい。

 

 

1万文字を超えているので

ブックマーク推奨。

お暇なときにどうぞ。

 

 

www.animatetimes.com

 

 

www.joysound.com

 

 

 

よく目にする形の文型だろうか。

しかし冒頭はサビから始まらない。

これをBパートとする。

 

 

ここで多くのことを語りたいが

それを許さない強い意志と決意。

これが主題であり結論なのだろう。

 

 

それから1番が始まる。

 

A-A'-B-C-C'

 

J-POPでお馴染みの型だ。

 

2番以降の不定形を見ると

詞先なのだろうか?

 

どちらにせよ作曲の偉大さは置いておく。

 

 

普段何気なく聞いている歌。

好きな曲のBパートを見たときに

その重要さに気づかないだろうか。

 

出だしAパートとサビCパートを

繋ぐ・外す役割をBパートが担う。

 

本来はサビのCパートから始まるべきだ。

 

 

例えば、

C'パートの誰かのために~

から同じようにスローバラードで

曲が始まればどうだろう。

 

今、強くなれたことを悲しみに感謝する。

 

 

同じく、紅蓮の華よ~

からスローバラード

サビと同じような曲調で

始まればどうだろう。

 

紅蓮の華に運命を委ねる。

 

私的にはどちらもなかなか良いな、と思う。

 

 

 

サビは作詞者のイメージを強調させるところ。

文体もまとまっているので良さげだ。

 

しかしこの曲はBパートから始まっている。

それはなぜだろう?

 

 

例のように 

サビから始まるとなると

過去の一点についての歌にならないだろうか?

 

 

 

話は変わる。

 

桃太郎はお供を連れて

鬼ヶ島へ鬼退治に行き

見事鬼を打ち取った

 

昔話だ。

作詞のパート分けをしてみるとどうだろう。

 

A:桃太郎はお供を連れて

B:鬼ヶ島へ鬼退治に行き

C:見事鬼を打ち取った

 

悪くない。まとまっている。

 

サビから行ってみよう

 

C:見事鬼を打ち取った

A:桃太郎はお供を連れて

B:鬼ヶ島へ鬼退治に行き

C:見事鬼を打ち取った

 

よく耳にする歌になった気がしないだろうか。

 

 

次はBパートを外してみよう。

時系列・場面を変えた表現を入れる。

 

A:桃太郎はお供を連れて

B:そのころ鬼たちは悪行三昧

C:鬼ヶ島へ鬼退治に行き

C':見事鬼を打ち取った

 

場面(視点)を変えることで

より物語っぽくなった。

 

Bパートから行ってみよう

 

B:そのころ鬼たちは悪行三昧

A:桃太郎はお供を連れて

B:そのころ鬼たちは悪行三昧

C:鬼ヶ島へ鬼退治に行き

C':見事鬼を打ち取った

 

 

文は再考の余地がある。

既存の物語を一文ずつ切り取って

作詞の型に当てはめてみると分かるが、

出だしがBパートだと難しいのだ。

 

多くを述べれば不自然になり

文脈・文体が繋がらなすぎても弱くなる。

 

 

話を戻す。

この歌は 

Bパートの役割が

冒頭でありサビであり繋ぎであり外し

 

 

作詞者が試行錯誤したようにも見えるが

これは過去の一点を伝えたいのではなく

現在起こっているであろう

(環境・心情・身体的など)

すべての変化を起点する今、

 

強くなれることを知ったのは

過去の一点ではなく今この瞬間。

 

少しずつ成長していく様を

描こうとした上での

Bパートだったのではないか。

そう感じ取れた。

 

 

文型の感想だけでかなり長くなった。

興味があればゆっくり読んでいただきたい。

 

 

ちなみに私はこんな人だ。

 

 

 

 

 

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もくじ

 

 

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https://tc-animate.techorus-cdn.com/resize_image/resize_image.php?image=05311709_5cf0e14b87118.jpg

 

 

 

「僕」は誰なのか

 

僕=炭治郎

 

そう考えるのであれば

炭治郎の心象を描いた歌になるだろう。

それはそれでしっくりくる。

 

が、

 

僕を連れて進め

 

炭治郎が言う。

「禰豆子、僕を連れて行ってくれ」

 

確かに禰豆子は強い。

 

しかし禰豆子を人間に戻すという

強い意志を持った炭治郎が

善逸と同じようなことを言うだろうか?

 

頼るというよりは、兄として守るはず。

これまでも、これからも。

 

そう考えると僕とは誰なのか?

この一文がポイントであることは間違いないがもう少し掘り下げる必要がある。

 

 

 

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紅蓮華とは蓮の花

 

 

 

 

蓮の花の花言葉

 

神聖な

清らかな心

 

離れゆく愛

救ってほしい

 

表と裏が存在しているように感じる。

 

光と影 

朝と夜

人間と鬼

 

そして生と死

 

 

清らかな心を持つ家族。 

鬼となっても清らかな心の禰豆子。

離れゆく(家族・兄弟)愛(情)に

救いを求める姿に似ていないだろうか。

 

それは白と黒ではなく紅と黒。

全ては表裏一体。

 

 

ただ平穏を望んだ炭治郎。

 

その純真無垢な表現は雪。

しかしそれは地獄の様相の雪。

 

 

鉢特摩(はどま)地獄 Padma 意訳で「紅蓮地獄」とも呼ばれる八寒地獄の第七。鉢特摩(はどま)は蓮華を意味するサンスクリット語の音写。ここに落ちた者は酷い寒さにより皮膚が裂けて流血し、紅色の蓮の花に似るという。 

八大地獄wikiより引用

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E7%8D%84

 

 

そこから絶望の闇に飲み込まれる黒。

白が紅に、そして黒に染まるー

 

自責の念に駆られる炭治郎は 

何を恨むのだろうか。 

 

 

傷だらけの心に花を咲かせるが如く

希望の光を求めて地獄を抜けなければならない。

 

その決意の表れは冨岡との戦いで見せた捨て身の戦法。

 

一度は生きることを放棄した。

 

最後に、

その清らかな心に咲きそうだった花。

それぞれが何かを感じ取ったのであろう。

 

誰かを守るため

その咲くであろう花を見るため

 

生殺与奪

 

生きることを与え 

生きることを決意する。

 

 

 

南無妙法蓮華経

南無阿弥陀仏

 

聞いたことがあるだろう。

 

泥の中に芽生えても染まることなく

綺麗な花を咲かせる。

 

仏教の教えのもと、

それを蓮華に例えているのではないか。

 

 

 

恥ずかしながら「ぐれんか」と読んでいた。

 

紅蓮の華と歌っているのが理由だが

タイトルは紅蓮華となっている。

 

 

鬼滅の刃(やいば)もそうだ。

 

日輪刀というタイトルはベタにしても

 

鬼滅の刀(かたな)

 

大ヒットしただろうか?

 

恐らく刃(やいば)にスポットを当てたのであろう。

 

 

 

似て非なるものでもなく、

表裏一体に近い二面性を感じさせるのは

(無意識かもしれないが)

作詞者の中にある

すべてを語りつくせないほど

何か壮大なイメージがあるのだろうと感じた。

 

 

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優しすぎるが故に

 

ようやく1番Aパートを見ていく。

 

炭治郎は研ぎ澄まされた嗅覚により

記憶をも感じることができる。

 

 

匂いとともに脳裏に浮かぶ鬼たちの走馬灯。

惨い場面、鼻から脳への刺激で酔う。

 

禰豆子も同じようになってしまうのだろうかー

 

強張る心。

 

しかし、望んで鬼になったわけではない

 

後悔の念を自問自答し

最期を迎えようとする鬼たちにも

情けをかけようとする炭治郎。

 

そう、望んで鬼になったわけではない

 

 

その悪しき念が手を握ること

ただそれだけで救われるのならば寄り添ってあげよう。

 

 

夜に彷徨う鬼たちの匂い。

そんな現状を悔いても仕方がない。

生殺与奪に疑問を感じながらも

感じている悲しみは真実のはず。

 

そのすべてを背負わなければ

誰も守ることはできない。

 

誰も変わることがないのであれば

自分たちは理解されないだろう。

ならば、

 

自分自身が変わることで

理解させるしかない。

戦う意義を見出す。

 

それだけが願いー

 

 

1番A-A'パートは

炭治郎が戦いの中から見出したこと。

 

強くなれる理由だと感じたことは

1番Bパートへ繋がっている。

出だしのBパートとは

(場面・意志が)

違っているかもしれない。

 

そしてサビCパートへは外す役割となっている。

 

やはりこのBパートは秀逸だ。

 

 

 

投げやりのサビと見せかけて

 

どうしたって今この現実を消すことはできない。

 

=どんなことをしても失った人は蘇らない。

 

 

そんな中で斬ってきた鬼たちが

少しでも幸せの瞬間を感じ

救うことができたのであれば

走馬灯のように感じている悲しみを

生きる糧とすることで自分もまた救われている。

 

ありがとうー

 

 

例え鬼であろうと同じ命。

それを殺めることに疑問を持ちながら

その悲しみを背負うことが自分の生きる理由。

 

 

流れるようなメロディ、

迷いがありながらも

A-B-Cパートを経て物語が進む。 

 

 

そしてサビC'パート

鬼の世界・鬼殺隊の世界

すべてが現実の世界。

 

そんな現実に打ちのめされ

叶わぬ願い・小さな自分を知る。

 

 

しかし紅蓮地獄から舞い戻ったのだ。

自分ならできる!

そのためには真実を解き明かさなければならない。

 

確固たる決意を持って

運命に委ね前に進むのだ!

 

決して染まることはない。

諦めることはないのだからー

 

 

にゃふぉるめシリーズ TVアニメ「鬼滅の刃」 ぬいぐるみvol.1 竈門炭治郎

 

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僕の可能性①

 

もし日輪刀に意思があるとすれば

もし日輪刀に誰かが宿っているとすれば

 

僕を連れてー

 

炭治郎と共に生きる刀

そんなメッセージかもしれない。

 

しかし

序盤で語られることがないこの刀。

作詞者のイメージを乗せていることは薄いだろう。

 

 

ただ、

イメージではなく作詞者の思いそのものだとすれば・・・ 

 

 

 

 

アニメの1話を思い出す

 

自分はアニメしか見ていない。

1話を思い出してみると

やはり地獄の様相の雪景色。

 

惨殺された現場を思い出し酔う。

震える禰豆子の手を取る。

 

そして、

かすかな希望の光を目指し

地獄からふたりで歩き出す。

 

そして紅蓮華が流れるー

 

 

視覚的に見るとこちらの方が

より歌詞の描写に近い気がする。

 

1話を見た段階で作っていれば別だが

やはり物語全体(序盤)のイメージを

投影した歌詞のように感じた。

 

 

 

ある大ヒットアニソンを手掛けた

作詞者の本を読んだことがある。

 

 

意図はあったのだろうと思う。

キーワードから連想させる技法は玄人だ。

 

真っすぐ方向が定められた歌詞。

そのはずなのだが、

あまりにもきれいな直線すぎて

逆に視聴者は混乱したであろう。

 

 

少しの映像・設定。

それだけを頼りにすべてを理解せず

作った歌詞が様々な憶測を呼び

多くの解明本(謎本)が出版された。

 

 

作詞者のイメージを凝縮した歌詞が

映像になった瞬間、

視聴者は歌に飲み込まれることになった。

 

 

 

それと似ているかもしれないが、 

紅蓮華は作詞者の思いが溢れすぎた歌詞だろう。

 

しかしメロディーがつくことによって

その思いが映像として鮮明になったのは不思議なこと。

 

 

作詞者はあるテーマのひとつを切取り物語を作ることもある。

 

 

鬼滅の刃」というタイトルも秀逸だが

そこからイメージさせる世界観を映し

物語だけではなく気持ちまでも伝わる歌となった。

 

 

それはアニメになったからこそだ

 

そうだろうか?

 

いや、実際そうだろう。

多くのアニメソング。

世界観に合おうが合うまいがタイアップはできる。

 

洋画も同じこと。

※この歌はあくまでもテーマです

そう言っておけばいい。

 

逆に、そのアニメを表現している

「主題歌」

と呼ばれるものをどれだけ知っているだろうか?

 

名作と呼ばれるアニメ。

その主題歌は大抵作品名が入っていなかっただろうか?

 

個人的主観だ。

 

 

 

紅蓮華

 

これほどまでに世界観がマッチした

あらゆる人に同じ映像を

思い起こさせる歌が他にあっただろうか。

 

 

かく言う自分は

2020年2月22日、初めてアニメを見た。

遅くてごめんね・・・

 

 

1話の本編が終わってからの紅蓮華は

その映像が走馬灯のように頭の中を流れた。

 

アップテンポなメロディーが

後のイメージを加速させる。

 

歌詞が知りたい。

そう思った。

 

自分と同じ考えの方々もいるだろう。

 

(エンディング曲がないのは)

制作者側の意図があったにしろ

その思いを受け止めた方々もいるはず。

 

原作を知らない自分は次を見たいと思った。

 

 

アニメが始まる。

主題歌が流れる。

アニメが続く。

エンディングが流れる。

 

(昨今のスタイルは知らないが)

普通のスタイルであったらどうだろうか。

 

重いな・・・。

そう思ったかもしれない。

 

 

何も知らないまま急展開のアニメ。

 

歌を聞いて次も見たいと思う方が

いるかどうかは別として

自分は歌詞に引き寄せられてしまった。

 

その歌で伝えたかったことが

おぼろげながら伝わった瞬間。

 

逆に、

原作を知っている方々であれば

より一層この歌に魅了されたに違いない。

 

そんな1話だった。

 

 

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ある意味定型な2番

 

A'から始まりBを経由せず

新パートDへ行く。

 

A'-D-C-C'-D'-C-C'-C''

 

溢れた思いを捨てきれず

二面性を全面に出したであろう構成。

 

自問自答が多くもがき苦しい様は

優しさの向こう側を模索しているように見える。

 

そして最後のリピート部分は

同じ言葉でも熱量が違う。

そこにもまた出だしと同じ何かがあるのだろう。

 

 

 

 

憶測を呼ぶ単語

 

実際にはどんな方か知らないが

作詞者はお茶目な方かもしれない。

 

 

蓮を別名睡蓮(スイレン)と言う。

 

睡眠。

 

そういえば寝ている鬼がいる。

・・・

 

 

イナビカリ

 

・・・

 

真相は不明だ。

 

 

 

さて、これは大正時代の物語。

歌詞を見てもらえば分かるが

表記は漢字である方が雰囲気が出る。

 

しかし、

かな表記が2単語。

 

イナビカリ

トゲ

 

これが漢字表記であれば

 

稲光

 

字面にしても

詞を通して見ても

かっこいいと感じる。

 

 

大した意味はないかもしれないが

そこに意義を求めたいのだ。

 

 

これは少し作詞をかじってきた

自分のイメージだが、

 

好きな歌詞を見た時に

かな表記をしているのはどのような単語だろうか?

多くは、

 

おしゃれにしたい

かっこつけている

それに意味を持たせたい

(実際には無い意味を含ませたい)

 

 

かな表記を平仮名にしたらどうだろう?

 

かわいい

幼稚な

 

 

漢字にすれば

 

硬派な

日本らしい

かっこいい

 

 

様々な感じ方があると思うが

素人が陥りやすい作詞術。

もちろんそれに意味があるのなら別だ。

 

 

そして個人的なイメージ。

 

棘=花にある、細く長い

トゲ=言葉の、鋭利で大きい

 

おぼろげながら分かっていただけると思う。

 

 

かな表記であれば

心のトゲ

言葉のトゲ

心象的な何かを想像する。

 

そしてもうひとつ

比喩(直喩)的なイメージを感じないだろうか?

 

心にトゲは刺さらないし

言葉にもトゲはない

 

(そう感じる方がいるかもしれないが) 

もちろんイナビカリの雑音もない

 

 

文章で見るとあり得ないが

歌詞で見るとあり得る表現になる。

漢字には現実のイメージもないだろうか?

 

 

例えば、

電の雑音でも良かったと思うが字面が悪い。

雷の雑音も同じ。

 

イナヅマの雑音

イカヅチの雑音

 

もっと字面が悪くなった。

 

そして類義語

 

稲光の雑音

 

悪くはないが固い。

もっとあやふやな

心揺らぐような

決意が鈍るような

そんな表現にならないだろうか。

 

 

われわれはうちゅうじんだ

我々は宇宙人だ

ワレワレハウチュウジンダ

 

お馴染みの文かもしれないが

やはりかな表記であれば

外的要因を感じることができる。

 

イナビカリの雑音

 

 

これがしっくりくるのはそのせいだろう。

決してこじつけではない。

 

 

強く鋭い罵声が五月蠅い。

目の前の誘惑に負けるなー

 

 

 

 

 

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覚悟を確かめる2番

 

鬼は諸悪の根源ー

 

禰豆子にも向けられる刃と同等な声。

自分のしてきたこと

これから成そうとすることを否定される。

 

(家族を守るような)優しさだけではダメだ

 

綺麗ごとと分かっているが

事実を曲げることはできない。

 

その優しさが時として罰にもなり

それを背負わなければならないこともある。

 

誰も分からない。

もがきあがき苦しんできた自分を。

 

その中で見た微かな光は

あなたたちにも分からないー

 

淡々と心を抑えつつ語る言葉。

 

負けるな炭治郎

負けるな禰豆子

負けるなー

 

自分自身に言い聞かせ覚悟を決める。

 

そしてサビへ。

 

 

(ふたりで)

生きて行くためには

この世界で作られた脈々と続く

概念を取り払わなければならない。

 

誰かに作られた

(禰豆子を人間に戻すための)

険しい道のり。

 

真意が分かったとき

その覚悟があれば

きっとそれに立ち向かっていけるだろう。

 

 

 

そして問題のC'パート。

ここも最大の悩みどころではなかっただろうか。

 

 

非常に申し訳ないが

私的にはあまり良いとは思えない。

と言うのも、

このパート後半は比喩が神がかった表現だ。

素晴らしすぎる。

 

この二文だけで鬼滅の刃を語れる。

そう言っても過言ではないだろう。

 

 

しかし、その前の二文が・・・

分かる。分かるのだが軽い。

 

幸せに一緒に暮らしたかった家族のー

 

過去があるにせよ悲しみを背負った鬼たちのー

 

そんな夢を終わらせてしまった

守れなかった(それぞれの後悔の念)

 

鬼たちを・自分を許せない

 

 

そんな感情がひしひしと伝わってくる。

悪くはない。

しかし続く文が強すぎる。

 

これが修飾文のように

強い文をより際立たせるために

わざと弱い言葉を並べたのであれば完敗だ。

 

(とても偉そうだが)

作詞者として高みに上っていると思う。

 

 

分かっていただけないかもしれないが

そのような理由で

ここは難しかったのではないか?

そう感じたC'(前半)パート。

 

 

散っていった

救えなかった

そんな思いをすべて心に刻む。

 

 

ここで語られた

 

紅蓮=心臓

 

この血とは

炭治郎なのか禰豆子なのか

それとも別の誰かなのか。

その血が宿ることでどうなるのか。

良い意味であやふやにしている。

 

 

その花が咲いたとき

心臓は、僕はどうなっていくのだろうか。

 

そしてその花の色はー

 

そのような危うさを感じた。

 

 

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鬼たちへのレクイエム

 

そしてD'鬼たちの死の間際の叫びを聞く。

 

昇階唱 (Graduale)

固有文。古い時代のレクイエム(例えば、オケゲムのレクイエム)を除くとGradualeと次のTractusは省略されるのが通常だが、著名なものではケルビーニとドヴォルザークに見受けられる。

Requiem æternam dona eis Domine
et lux perpetua luceat eis.
In memoria æterna erit justus:
ab auditione mala non timebit.
主よ、永遠の安息を彼らに与え、
絶えざる光でお照らしください。
正しい人は永遠に記憶され、
悪い知らせにも恐れはしないでしょう。(詩編112:6-7)

詠唱 (Tractus)

固有文。例えば、オケゲムのレクイエムに見られる。

Absolve Domine, animas omnium fidelium defunctorum
ab omni vinculo delictorum. 
Et gratia tua illis succurrente,
mereantur evadere judicium ultionis.
Et lucis aeternae beatitudine perfrui. 
主よ、全ての死せる信者の霊魂を
ことごとく罪のほだしより解いてください。
彼らが主の聖寵の助けによって
刑罰の宣告をまぬがれ、
永遠の光明の幸福を楽しむにいたらんことを。

  

レクイエムwikiより引用 

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%A0

 

 

引用を見て歌詞のイメージは変わっただろうか? 

 

 

(意志を持って)

炭治郎が主となり鬼(罪人)を導く。

 

生殺与奪

 

神の成せる業なのだろう。

 

 

鬼たちが許しを請う

それを許す炭治郎

 

どうして鬼になったー

 

その無情は断末魔(のような叫び)

 

 

それは優しさだけではどうにもできない。

しかしそれらを全部受け止め自分の中で浄化する。

 

 

家族と共に過ごす何気ない日常 

 

そんな日々を

変わらぬ日々を求めていたのにー

 

鬼たちを許せない

しかし許さなければならない

 

そしてサビへと続く。

 

 

鬼たちが(人であった頃)

心の奥底で描いていた夢。

誰だって時を戻したい。

しかしそれができないから

今、戦わなければならない。

 

 

震える手が掴みたいもの。

 

 

手を差し伸べたい。

それだけさ。

 

 

かつて自分も許しを求めた。

胸に刻んだことを思い出しながらー 

 

 

 

 

僕の可能性②

 

僕を連れて進めー

 

どんな時に使う言葉なのか

 

 

燃え盛る炎の中で取り残されるふたり。

天井から落ちてきた火柱。

とっさに相手を突き飛ばし下敷きになる男。

 

自分はもうここまでだ・・・。

 

(それでも助けるかもしれないが)

 

 

俺のことは構わず先へ進めー

 

 

 

自分が盾となり身代わりとなる。

糧に、(屍となっても)乗り超えて進むのだー

 

そういった

同様の強いメッセージが込められている一文だろう。

 

 

強くなれる理由を知ったのは

みんなが自分(たち)を守ってくれた、

支えてくれていたからこそ。

全てに感謝している。

 

 

家族のためと繕い物をする禰豆子。

 

いつも笑顔だった。

 

しかしその笑顔を失ってしまった。

 

誰のせいでー

 

苦労や努力は報われなければならない。

 

もしも禰豆子の人間に戻るため、

あの笑顔を取り戻すために

犠牲が必要であるならば喜んでこの身を差し出そうー

 

 

僕(の魂・遺志)を連れて進め

 

 

Bパートとサビが繋がる。

 

強くなれる理由=負ける意味

それは表裏一体。

 

それがBパートから始まる意味。

理由が分かったからこその決意。

 

お互いを思うからこそ

かばうからこそ見えた光なのだろう。

 

 

2番はリズムを変えることで

心情などの場面(責任)転嫁をしている。

 

 

家族の仇であると同時に

同じ家族を持ったいたであろう

鬼たちも殺めてしまう葛藤。

 

それを背負うことで強くなれる。

それに対しては感謝しているのかもしれない。

 

負ける意味とは許すこと

 

きっと希望の光が見えるはず。

それを信じてー

 

 

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僕は何度でも立ち上がる

 

 

またこじつけになるが

2番のサビでモヤモヤするところがある。

 

 

強くなれるなら

強くなれるから 

 

こうすることで効果出るような気がする。 

 

出だしBパートに繋げるからこそ

同じ文であるべきだ。分かる。

 

しかし場面転嫁した2番。

私的にはここで区切りたかった。

 

1番と2番はそれぞれ独立した場面とする。

 

過去の一点と

現在の一点の

シンクロを狙った表現。

それぞれ違う悲しみに感謝することになる。

 

 

・・・

・・・

・・・

 

 

アニメ版とフルバージョンでは歌詞が一部違う。

 

 

意図を感じるのは聞いた方々。

作詞者の思いはブログでも解説されている。

 

 

ameblo.jp

 

 

何度でも立ち上がれ!

 

 

時系列が違うのは作詞者を含め

多くの人たちの重ねた思いがあるからだろう。

 

僕=作詞者

 

その思いは同じ。

感謝の気持ちは同じ。

 

僕=聞いた方々すべて

 

 

そういった切ない思いも込めて

悲しみに感謝しているのだろう。

 

僕を連れて進め

 

歌い手でもある作詞者だから成せた詞。

自分を重ねての歌となった。

 

 

 

アニメ版の歌詞のままであれば

再考の余地があると思った。

 

しかし作詞者とともに成長した歌。

気持ちの変化は同列に扱ったことで

過去と現在の清算は終わっていたのだ。

 

 

素人の作詞術に溺れていた

自分の浅はかな考え方だった。

 

 

 

 

すべてにシンクロした歌

 

 

冨岡の思いと似ている気がする。

 

許しを請う炭治郎。

 

希望が見えない現実。

自分のふがいなさが招いた現実。

運命だと信じたくはない。

 

すべてを恨む。

 

 

そして声にならない叫び

嘘だと言ってくれ・・・

禰豆子を見ながら目を閉じる炭治郎ー

 

 

 

走馬灯のように感じた匂い。

それは母のものであったのかもしれない。

 

許しが欲しかったのは自分だけではない。

 

その思いを感じたからこそ分かったこと。

 

生きる者を守ることは使命。

 

 

強くなれる理由を知った

僕を連れて進め

 

 

禰豆子が飛び出す。

 

 

やはり誰も同じこと。

現実は無常だ。変わるはずがない。

 

しかしその姿を見て心乱される。

 

信念は揺らいではならない。

自分の行いは正しかったはず。

 

 

疑心暗鬼に陥る。

それはその信頼に光を見たからこそ。

その思いを理解しようとしたからこそ。

 

 

誰もが同じ幸せを願っているー

 

冨岡だけでなくこのシーンを見た方々は

そう思ったであろう。

 

何度でも立ち上がれ!

 

 

  

炭治郎は走馬灯を見ていた。

そこにいる者たちが同じことを考えていたとは知らない。

 

 

溢れる涙から流れたであろう後悔の念。

同時に紅蓮地獄をも浄化してしまう。 

 

 

その清らかな心のまま

何に染まることなく

奇麗な花を咲かせてー

 

それは(この世界の)希望となるはず

 

 

だから今(この世界)を変えてみせる

 

 

 

最後のリピートの時系列は未来と現在。 

どちらも作詞者の思いも投影させた

強い意志・決意を感じられた。

 

 

 

鬼たちのレクイエムというと語弊があるかもしれない。

 

人間はみな心の片隅に

持っているであろう妬み、恨み。

 

 

(噛まれるなどの)

要因はあるだろうが、

鬼になることはそれが具現化しただけ。

誰にも可能性があることだ。

 

鬼も人間だった記憶を持っている。

 

 

姿が鬼であろうと

心が鬼であろうと

 

同じ人間なのだ。

 

 

それらを救うためのレクイエムだろう。

 

 

僕が守ってあげるから一緒に行こう! 

 

 

僕も強くなった。

君を守ってあげることができる。

 

そんな思いも含め

歌詞が変わったことに結び付くのではないだろうか。

 

 

紅蓮華

 

直接映像を思い浮かべ

そこから感じるメッセージも様々だ。

 

それは魅力的なキャラクターもそうだが

それを代弁してくれるような作詞者の思い。

そして歌い手としての思い。

 

 

笑っているときも

泣いているときも

お互いの気持ちはひとつ。

 

誰もが幸せを願っている

 

この素直な言葉は

自分が納得いかなかった2番サビ。

 

もしかすると、

2番のサビ後半を修飾していたのではなく

このD'パートと共鳴

(守れなかった夢の説明)

させていたのではないか?

 

そのようにも感じた。

 

 

最後にレクイエムの意味を今一度考える

 

生前の罪を許し魂を鎮めるー

 

そんな意味合いを持つ鎮魂歌。

日本では漢字の意味合いもあるので

少し異なる解釈かもしれないが、

 

レクイエム=鎮魂歌

 

生前の罪を許し死者の安息を願う

その序章はキリスト教で言うミサ。

 

そんなぬくもりを感じるイメージ、

讃美歌のようにも聞こえないだろうか。

 

レクイエム

鎮魂歌

 

これらはどことなく暗いイメージがある。

しかし意味合いはイコールでないにしても

そこに讃美歌的イメージが加わることで

(死後の世界があるならば)

より鮮明に希望を求める気持ちになったのは自分だけだろうか。

 

 

仏教を連想させる蓮の花

キリスト教をイメージさせるレクイエム(鎮魂歌)

 

英語のフレーズには触れていないが

そういうことにしておこう。

 

 

鬼滅の刃がそうさせたのか

作詞者(作曲・アレンジの方々)がそうしたのかは分からない。

 

 

それらが混同した歌詞は

人と鬼がそれぞれの中に混在し、

助けを求めるような強く切ない中にも

喜びを感じる歌と言えるのではないか。

 

こじつけ大爆発だ。 

 

 

 

この紅蓮華の歌詞について

様々な思いを巡らせることができ

非常に楽しく考察させてもらった。

 

ただ子どもたちが

楽しそうに見ていたアニメを偶然見た猫の日

 

1度見ただけで自分の中に広がったイメージ。

 

アニメ版のままの(幼い)イメージで

フルバージョンの歌詞を作ったらどうなるだろう?

そんなことも考えた。

 

 

鬼滅の刃の世界観を如実に表した歌詞。

もちろん曲やアレンジもあってこそだ。

 

 

作詞者の根底にある感謝の思い。

 

そんな気持ちを感じつつ

優しく背中を押されるような

応援歌として受け入れた方々もいるはず。

 

どちらにせよこれだけ長く

ヒットし続ける理由は

様々な側面を感じる歌だからだ。

 

 

自分はレクイエムのように感じた。

 

最後まで読んでくれた方は

どのようなイメージを持っていただろうか。

 

そのイメージを持ったまま

聞いていただければ

また自分だけの発見があるかもしれない。

 

 

 

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