こじんてきしゅかん

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あの花とは何か?僕らは何を望むのか?今更見たおっさんの感想と考察。【あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない】

 

 

2020年5月23日に放送されたアド街ック天国。

 

www.tv-tokyo.co.jp

 

テレビ東京なので

全国各地で見れるわけではないが、

その時に紹介されていた秩父

 

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない

 

熱心なファンの方々

お祭りの様子などが紹介されていたので

今更ながら見てみよう、そんなきっかけ。

 

昔のアニメなので他所で

似たような表現があれば申し訳ない。

 

 

 

 

結果、

要所要所で泣いたし

花火や最終回では涙もこぼれた。

 

面白いか面白くないかと聞かれたら

オタクっぽいおっさんの主観として面白い。

 

ただ、

人によっては(おっさんの)泣くポイントに

共感は特に欲しくないと思うので

人に勧めるかと言われると微妙。

 

 

そんなことを考えつつ

視聴が終わってから某所の感想を見ると

意外と善し悪しが割れていた。

 

 

予備知識として

 

超泣ける

名前が変

めんまは死んでいる

 

こんな感じ。

少し構えて見ようと思い、

めんま視点で視聴開始。

 

 

感想は先に述べた通り。

 

物語の世界観は大切に。

世代によって重なる思いも違うし

重ならない感動だってある。

 

 

私的に、

疲れたおっさんが見て感動をする

こちらをお勧めしたい。

 

relife-anime.com

 

 

ReLIFE 1【フルカラー】 (comico)

 

 

矛盾があるからがっかりした

そんな感想も多かった。

 

が、

意義を求めるには理由が必要と言うが、

それらを自分で補完するからこそ

面白いと思えることもあるのではないか?

 

 

誰かの小屋を拝借しているにしても

数年間誰も来ないのもおかしい

 

まずそこから疑問に思ったが

子どもの頃の秘密基地。

それでいいはず。

 

 

・・・ 

全く見当はずれな最期ではなかった。

 

涙を流す意義が必要かもしれないが

そこに理由は必要だろうか?

 

悲しいから

切ないから

 

それが誰かの気持ちを汲んだものなら尚更だ。

 

誰かの気持ちになって泣けるのであれば

それは素晴らしいことだと思うし、

そうでなくとも何ら不思議ではない。

 

ホラー映画を見て怖がる度合いが違うように

泣けるポイントも違うはず。

 

作品としてまとまっていた。

どんな作品も様々な感想があるのは仕方ない。

 

2度目は視点を変えてみようと思う。

そんな作品だったことは確か。うん、面白かった。

 

 

 

 

 

 

と、終わると何の変哲もない。

制作に対してひとつあるとすれば

せめてもう1話欲しかった。

 

最後のかくれんぼをしつつ

ひとりずつの回想を入れ

みんなの心を繋げていく。

 

あの時のかくれんぼもこの木でー

 

そんなイメージだろうか。

 

誰もが思っているだろうこと、

映像はそれぞれ補完してくれ、

そう言わんばかりの視聴側とのズレ。

 

そう「まだ見たかった」のだ。

 

そんな個人的なワガママもあるが

リミッターを外せば

妄想を爆発できる自分としては

特に問題なかった。

 

表現したくない

表現して欲しくない

説明したくない

説明して欲しくない

 

 

1対0。9回裏2アウト満塁。

バッターは4番。

ピッチャーが最後の一球を投げる。

場面転換して歓声で終わるー。

 

どっちが勝ったのか?

 

そんな終わり方でもいいはず。

あぁ、2へ続くのだろう。

主人公の方が勝ったのだろう。

 

など 

主人公の生死を明かさない最終回も然り。

 

 

そんなこともあるだろう。

 

ずっと引っかかっていたタイトル、

言ってしまえば、

 

あの花=めんま

 

最後、じんたんのナレーション。

めんま視点で見た自分は素直にそう感じた。

 

まだ知らない、

けど

いま知った、

 

伏線とか何とかではなく

素直に進む物語を楽しめる。

そう言う点で面白かった。

 

 

 

某所で言われている個人的見解

  

ゆきあつの掌返し

 みんなあだ名に戻ってる~

  → リーダーって呼びたかった

 そんな素直な感情が芽生えた

   

つるこのトラウマ

 子どもの頃の無意識の処世術。

 その位置づけは自分でも変えようがなかった。

 変えることで(ゆきあつの気持ちが)

 変わるのが怖かったのではないか?

 いちばんの理解者~、を演じていた。

 

おいてけぼりのぽっぽ

 首から下げているものが気になったが

 (劇場版で解き明かされる)

 溺れる?めんまは誰も見ておらず

 水面から左手を出したと思われ

 ぽっぽは右手を差し伸べようとして逃げた?

 


最後のかくれんぼ 

 そんな感じの回想があれば、

 もっと分かりやすくなったかもしれない。

 隠れているというか見えなかっただけ。

 それが見えるようになった理由

 どうしてそこの木でなければダメだったのか?

  カブトムシを採った木?

  数年で場所が開けた?

 まぁ、朝陽を見るにはちょうどいいから、

 みたいな補完の仕方だがモヤモヤするのは確か。

 

 

終わってからこその疑問と思うが

視聴中は特に考えていなかった。

 

めんまの声はマクロスダイナマイト7の

エルマに声が似てるなーとか

そう言えば、

井上喜久子さんと早見沙織さんは

声が似てるよなーとか

OPを遠目で見るとめんま

鼻血出してるように見えるなーとか。

 

思わなかったからこそ

終わったときの反動が大きかったようだ。

 

 

自分の補完したことを

見つめ直しながら

もう1回見るのも良いかもしれない。

 

 

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そして劇場版を見てしまう。

 

最終回の疑問が(ある程度)

明確になって気持ち的には少し楽になった感じ。

 

そう、妄想超大爆発だ。

 

 

枠としては最終回の1話分。

それを総集編で振り返り

流れ的には悪くなかった。

 

ファンはファンとして素直に楽しめる。

 

高校生があんなに幼いわけないじゃん

感情移入できませんでした。

 

みたいな考えの人は

好みの問題でしかないので

そうですね、でしょう。

 

 

明かされることのなかった

あの花

これは精神的比喩と考えて

やはりめんまのことかな、

そう思っていたが、

劇場版を見てからもうひとつ、

アリかな

そう感じたことがあった。

 

 

劇場版を見てからの考察。

 

 

時系列は定かでないのでお許しを。

 

めんまが出てきたのは恐らく7回忌?

 

今までお墓参り行かなかったのか、

みたいなつっこみもあるし

お墓参り行ってからついて来たとかの方が

自然だったのかもしれない。

 

その辺は親同士が相当揉めたのだろう

それでいいような気もする。

 

ついて来ないにしても

お墓参りのシーンは欲しかった。

 

 

背景として、

それぞれが過去を引きずり

カタチだけ前に進んでいる現在。

もちろんそれが現実という保証はない。

 

死んで以降からずっと

じんたんの傍にいたかもしれないが

本人が気づかなければ分かるはずがない。

 

本人が心残りに思っていること

成仏しているかどうかも分からない。

 

そう、

ずっとひとりで歩き続けていたかもしれない

 

冷めていく家庭を見て

ひとりで誰かを救おうと

それぞれの家を周り何かしらをしていたかもしれない。

 

何もできなかった。

ひとりでは何もできなかった。

時間が止まったままのめんま

 

あの時救ってくれたからー

じんたんに助けを求め現れた。

そういった解釈もある。

 

 

(商的な話や制作側の意図は置いといて)

多分地上波で

ここまで作りたかった話のはず。

当たり前だが。

 

そう考えると、

あの日を示すのはどこか?

 

初めて会った日?

何か思い出の遊びがあった日?

死んだ日・・・

 

 

そして僕等。

 

ボクっ娘はいないので男子。

これは正直誰でも良い気がするが、じんたんだろう。

 

最終回になるはずだった劇場版

 

まだ知らない(けどこの後知る)

 

 

もう分りましたね?

 

 

 

起点はめんまを見送ってからの1年後。

また昔みたいに集まった仲間。

普通の、何気ない生活を取り戻そうとしている。

 

天に帰る煙を見上げながら

みんなが去年のことを回想しているのが本編。

 

 

めんまのためにー

つるこが持ってきたマグカップ

深い考えはなかったのかもしれない。

 

じんたんが言う

「あの花(の模様)何?」

 

何気ない普通の会話の一コマ。

 

「〇〇だよ。めんま好きそうと思って」

 

そこから弾む会話。

普通の日常になるはずだった会話。

まるでめんまがそこにいるかのように。

 

 

(ご都合主義と言われるとそれまでだが)

 

誰かの、仲間のためー

 

そんな自分を犠牲にした考え方、

もちろん仲間の絆も大切だが

自分のためと思うことが

人の(仲間)ためになること。

 

裏を返せば人間関係の難しさもあるが、

その時から昔のような日常、

友だち関係を修復したいという願望が

タイトルに込められているのではないか、そう感じた。

 

大切な誰かと共に生きる日常

それは隣にいようと心の中にいようと同じこと 

 

どうしてめんまが現れたのか

ということよりも

どうして僕たちは生きなければならないのか

 

そういったメッセージのように感じた。

 

でも、最後は手紙を回して

誰かが誰かのを読んで欲しかった・・・。

 

複雑な人間関係に色恋沙汰を混ぜるな

そんな人もいるのだろう。

 

 

これは誰の視点から見ても感じたが 

やはりこの劇場版を見なくては

新たな起点が見えないため

時が止まっているように感じることだろう。

 

 

時間が止まったままのめんま

思い出したくないとする家族やかつての仲間。

 

思い出して欲しいのではなく、

同じように成長している自分を

仲間として一緒に歩みたいという

めんまのワガママなのかもしれない。

 

 

 

 

 

劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。(フジテレビオンデマンド)

 

 

 

 

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